この社会の特色

この社会の特色

ヤマギシズム社会実顕地は、今のところその大半は農村にあり、そこでの職業として農業を採用している。採用品目は養鶏、養豚、乳牛、肉牛などの生産から加工販売まで、また飼料作物、水稲、果樹、野菜全般、それらの農産加工など、農業関係全般にわたっている。またここから産みだされる生産物の販売は、各地に設置された生産物供給所を通じて、生産物を活用者に供給するシステムになっている。

 こうした一体経営による事業体を持つことで、その事業を育てようとする物的・営務的・精神的投資が知らず知らずのうちに一体の仲を深めることになっているようだ。

 そんな社会の特色を簡単に上げてみる。

〈仲が良い〉

 この社会の合い言葉は「まず仲良し」で、何をさておいてもまず仲良くなることをすべての出発点としている。ここでいう仲良しとは事柄だけの仲良しをいうわけでなく、どんなことがあっても、どう思おうと仲悪くならない仲良しの実態を指している。人間を含むすべての生物から無生物まで、この宇宙自然にあるものは互いに害し合うものでなく適材適所を得て共に調和が保たれた時が一つの理想社会だとみなしているからである。

〈金が要らない〉

 同じ太陽の下、この地球上に住んでいるということは、一家の中で住んでいるのと同じことである。その人と人との間に金やチケットが要るということは、それは相手を他人と見ているからだ。「私はあなた、あなたは私」のこの一体社会には、何ら取引や貸借の金銭受け渡しを必要としない。

〈財布一つで給料や分配がない〉

 現今の社会では、一つ家族の中でも財布をいくつも必要としているところが少なくない。だがこの社会は、何人何家族集まっても、それは仲良し一家の集まりだから、経済は一つで、よく働いても働かなくても、給料も罰則もなく、分配して狭く囲うのでなく、公の広場でその人がその時の必要に応じて適量使っていく仕掛けであり、ちょうど空気の使い方のようなものだ。

〈規則、監視がない〉

 今の社会は監視し合う対立社会。この一体社会には人が人を監視する必要もない。それはまた人としてすることではなく、人からあるいは法規・条文によって規制される他動的なものでなくみずからの内なるもので自分を正し、自分を自分で律していく自発的自由な方式である。各自の能力と持ち味に応じた楽しむ仕事には、監視が要らない。禁止などの張り紙も要らない。

〈階級や長がなく、無報酬〉

 この社会での運営は、寡頭独裁や多くの力で少数を押し切る多数決を排し、何事も同列横の全員が納得のいくまで研鑽した一致点によって運営される。何年働いても、どのくらい実績を上げても階級が上がるようなこともないし、待遇がよくなるようなこともない。タダ働きである。唯一の喜びは、そこに自己が活かされ、人生を全うすることであり、ここに真の生き甲斐がある。

〈固定がない――無定住〉

 人生は、考え方も行為も固定しないで流動的に送ることが自然の真理にかなっている。この社会には固定がなく、住む場所や家にしても、各実顕地間の交流により、その時の自分に適した環境に住み替えることが自分次第で可能で、やがて国中、世界中そうなれば、家替え、国替え自由自在である。

〈物資豊満・自由使用〉

 この社会には、権力欲も支配欲も征服欲も所有欲もなく、財産を個々に貯え守る必要がない。あるのは、全世界の頭脳・技術を持ち寄って衣食住・生活必要物資を空気や水のように豊富に生産し、その物を偏在させないで、使用の機会を万人に均一に与えることとする。

〈生活の終生保証〉

 この社会の中に生活調正機関を設け、そこに私の身体を含む一切の有形無形財を委ねる。一旦そうした以上、その家族の子々孫々までの生活が保証され、万人の愛に包まれて愛児が生長していく楽園たらんとしている。 

〈現状そのままでスタートできる〉

 この社会をづくりるには、現状のままで、政治体制も社会機構も家族も家も財産も、破壊も撤去もする必要がなく、周囲環境はそのままで、その気その考え方になるなれば、今すぐ実現できる簡単容易な方式である。

〈全人幸福運動の一環として〉

 ヤマギシズム社会実顕地は、未来永劫栄えて限りない確信のもとに、今日もその社会づくりにいそしんでいる。なぜか――。それは、自分だけの幸せを希っても、それは終局において成り立たないとするヤマギシズム社会原理に基づいて、その社会実顕地だけよくしようとするのでなく、全人幸福運動の一環として進めているからである。

〈要約〉

 何も持たない裸の人たちの群れ、それが真の自由人。

 軒端にさえずる雀さえ、花に飛びかう蝶の群れとて、自分の家も財産も持たないのに、持たないからか、あの気楽さよ、楽しさよ。

 蝶になりたい、花になりたい。裸で生まれて裸で死ぬ生身の途中の人生を――。

 〝トンボ釣り 今日はどこまで 行ったやら〟

 ヤマギシズム社会実顕地は、何も持たない放した裸の人たちの群れである。