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ヤマギシズム社会実顕地の構成員も、形のみつくっても考え方が正されない限り、単なる共同体と何ら異なるところがない。以上「この社会の特色」等で述べたことは、社会の仕組みやそこに住む人の心のあり方など目標やあり方にすぎない。今ある構成員は全員その考え方に立ちきっているわけでもないが、その考え方、心のあり方が正されない限り構成員とはいえないし、ヤマギシズム社会実顕地とも呼べないであろう。その方向へ、その方向へと研鑽を重ねていく人づくりが、基本になってくる。
ヤマギシズム生活を希望するからには、ある程度の生活実態が分かり、それに即応しようとする意欲がなければ始まらない。しかし、それが分かり、意欲があるということと、その通り実行できるということは別のことであるから、ヤマギシズム生活のできる人となるための人づくりが始まるのである。
実際ヤマギシズム生活を文字や言葉ではなかなか言い表しにくいが、こういう方向のものと、指で指す程度の表現として
「自然全人一体観」「無所有 共用」「無我執 放す」「全人真の幸福」「絶対愛」「心物 正常 健康 豊満」「研鑽科学生活」……。
といった理念に基づいて、よりよく、正しくといった生活。こういう考えに立っての生活。はたして、心の底からの一体の実践であるかどうかということ等が問われる。
人を責め、裁き導こうとするのでなく、私を考え、私を改め、私を深める。私が変われば世界が変わる。言う人が百人できても効果がないが、一人の心からの行いが百人の心に響くものである。
「相手が間違っていても、正しく生きるということは自分にできることだ」として、それぞれの持ち場持ち場で自分を活かすことを楽しむ。誰もきずつき侵されない。その人、その時の段階で無理なく、みんな深まって理想社会につながっていく。