ヤマギシズム試験場について


 ヤマギシズム試験場について解説された小文があるので参考に供したい。

人間理・社会理の試験とは何か

 春日山の入口の表看板に「ヤマギシズム世界実顕中央試験場」と示されています。この春日(現在の春日山実顕地)は、ヤマギシズム生活の試験場であることは春日に参画している人なら誰もが知っているはずです。しかし、ヤマギシズムの試験場とは何か、どんな試験をどんな方法でやっていくところか、ということについてはあまり知られていないようです。

 鶏や豚の飼い方を試験しているらしいということは聞いているが、試験場の機構表にある人間理・社会理・産業理等、それらの試験は、どこで、どのような内容でやられているのか、また自分がその試験を希望する時、どのようにやったらよいのか分からない人もあるかと思います。そこで、試験場とは何か、どんなことをするのかということについて、初歩的な解説をしてみたいと思います。今、私たちがここに生きているという事実からまず出発したいと思います。

 今までどのように生きて来たかということは別として、これからどのように生きたいかと尋ねつめると、残りの人生をと考える人、あるいはこれからの人生をと考える人、など、人それぞれいろいろの生き方への希望があると思いますが、せんじつめると、人間らしい本当の生き方がしたい、真の幸福に生きたいと念うのでないでしょうか。

 人間らしい生き方とか、真の幸福とかいう目標でみながそう思ったとしても、それでは人間らしい生き方とはどんな生き方か、真の幸福とはどんな状態かとなってくると、いろいろの観方、考え方、生き方があって、おそらくその表現においても、あるいは生き方の行動面においても、一致することが難しいと思います。

 しかし私たちは「真理は一つであり理想は必ず実現する」という考え方を持っています。この考え方のもとに、ヤマギシズム運動をやっているのですが、そこに方法が必要なわけです。理想は必ず「方法」によって実現する、この方法について、どのような方法が一番すぐれているのだろうか、正しいのだろうかとしていろいろの方法を試す場が試験場なのです。

 鶏や豚をどのような飼い方をすれば健康でよく育ち、よく働くかという方法を実験しているのと同じく、人間生活にもどのような考え方で考え、どのような生き方の方法を取れば幸福に生きられるか、どのような社会機構や運営のあり方が、人間が人間らしく住むのにふさわしいのか等

 人間理 (人間自身の問題として考えねばならない事柄)
 社会理 (社会環境面として取り上げるべき事柄)
 産業理 (物資の生産関係)

等に試験課目を大別して、実際の生活面を通して試験しながら、その本当のあり方を探っていこうとしているのです。

 ただやみくもに何が正しいのか探るのでなく、一定の方程式にしたがって試験するのです。すなわち「理念と方法が一応成り立ったとして、実施した結果がそれにともなわない時は、その理念か方法に間違いがある」として原因を探るのです。ヤマギシズム理念ではっきりしていることの中にも、未だ方法面が確立できてない事柄が沢山ありますし、理念そのものも正しいかどうか検べねばなりませんから、理念方法共に何回も反復試験して、確実な方法で世界に普及していこうとしているのが試験場の趣旨なのです。

 このような実験は、やろうとして仕組まなくても、実は私たち毎日の日常生活でやっていることなのです。人生は一回限りの連続で、過ぎた毎日は取りかえすことも、やり直すこともできない貴重な実験なのです。この貴重な実験生活をしかもヤマギシズムの仕組みの中で、実はやっていながら、その人の足あととしてしか残らないようでは、また次の人が同じような実験生活をくり返すようでは惜しいと思います。そこで、それらを試験的にみてとりまとめ、こんな場合はこうなる、あんな場合はああなる等、各人各様、様々の中から、共通点や相違点を発見し、万人共通でいけるのはこの線だ、この部分は各人各様でよいのだとか、一貫した生き方への方式を組んでいく参考にしようとするのです。

 現在も、心ある異質的な試験場員がその気になって、その人の内面でいろいろの試験をしたり、また、周囲の出来事を試験的に観ていられるのですが、この際機構にも載せて、また、それらに関心のなかった人も関心を持つようにして、最も初歩的な試験場活動をやっていったらどうだろうか。今後、試験場は、人間社会のあり方や生き方について、いろいろと試験を仕組んでいくだろうが、差し当たり、初歩的な試験活動として、調正機関参画者のそれぞれの生活について、試験的に観察するということからはじめてみてはどうだろうか。

 例えば、食事についての試験課題で研鑽会を開きます。
一,食の目的 一,食経済について 一,食と人間心理関係
一,栄養関係 一,食と健康の関係 一,食の回数
一,味覚について 一,食堂や食器の環境面 一,食習慣について
一,料理法 一,料理人やサービス係のあり方
一,材料について 一,好みの個人差 一,その他

 このテーマで研鑽するだけでも、そこにいろいろの考え方や方法の違いのあることが分かると思います。そして、こんな大切なことが習慣的になってしまっている点や腹が減るから食べに行く、みなが食べに来るから食事を作るという、受け身からでなく、積極的姿勢で正常なあり方を見出すための研究や試験がはじまると思います。そしたら、単なる飯炊き係やサービス係から、研究のための、試験のための係に発展することになり、仕事に対する意義、やり甲斐が増してきて、全人幸福につながる正しい食生活のあり方がここから産まれる源泉の場に、オンボロ食堂が生まれ変わるでしょう。

 流行はパリから正しい食生活は春日の食堂から、というように、試験の場としての食堂には、「炊事係は女」という考えもなくなり、直接炊事係以外の大勢の研究員が取りまくことにもなり、そうした意味で全員食事係であり、毎日毎食が試食会であり、それこそこの食問題について、試験対象にならない人は生きている人では一人もなさそうです。

 こんなことを書きたてると、きりのないことでどこの職場でもあてはまることで、育児・学育についても、結婚・出産についても、衣料や住宅についても、機構や運営や各種社会環境についても、限りなく拡がる青写真と、その一角からでも実験する楽しさが充ちあふれる時、やりたいけれど材料がないから、人が少ないからできないという貧乏神が春日に住む人の誰の中からも霧散してしまうでしょう

 そして研鑽とは、自分を正すということ以外の一切の間違いを正し、低いものは高く、狭いものは広く、少ないものは多く、不味いものは美味しく、きたないものは美しくと、消極的内向性から「はたらきかけ」が活発となり、人生が運動的・活動的となって、その活気・熱気が春日山の外へあふれ出ていく時、それがヤマギシズム拡大であり、ヤマギシズム運動でないでしょうか。