ヤマギシズム社会構成

 ヤマギシズム社会構成は、試験場・研鑽学校・実顕地の一環の運営によってなされ、どの一つを切り離しても成り立たない仕組みである。

 ヤマギシズム社会機構では、試験研究部門と実用・実顕部門とがはっきり分離されて仕組まれている。

 人は生まれてくれば生きるすべを知らねばならない。そのすべをみな自分で考えねばならないということになれば大変なことである。一生研究ばかりでも追いつかないだろう。
 そこでヤマギシズム試験場では、その試験研究の部分を担当し、人問理・社会理・産業理と分課された中で、それぞれ理念を立案.立法して、人間社会で如何に即応し活用するかを、実験資料を通じて実験している。そこでは、理念即応の方法について、ある場合は人間直接に、ある場合は植物や動物を通して実験し、技術を組み立て、生活様式を編み出し、社会機構や政治形態となって、人問社会に実用化されていく仕組みである。(『ヤマギシズム試験場について』参照)


 一方、実顕地構成員は進んで研鑚学校へ入学している。

 研鑽学校とは、簡単にいえば、社会に生きる、特に一体生活の中で理に即応し、人に即応し、周囲環境に即応し、そしてその中で自己を最大発揮する、調和人間を育成する場である。一生を通じて卒業のないたゆまない研鑽が連続してできる仕組みであり、実顕地構成員は年一回は風呂に入るつもりで入学するように仕組まれている。

 実顕地生活をするためには、否、人間幸福生活を送るためには、この精神的分野をなおざりにすることはできない。積み上げていくうえに幸福があるものでなく、積もった垢を落とした下地そのものが本来の姿だとすれば、成人してからも、経験なり実績が上がっていくほどたまってくる、この垢ともいうべき固定観念、観念のトリコから解放されて、無心の子供心に還るのだ。

〈要約〉
 新しい社会形態、それは未知のものである。ヤマギシズム社会を組織するのに試験場を一番先に着手したのもそのためである。

 研鑽学校の人づくりは根ともいえようか。試験場の方法づくりは幹枝葉となり、実顕地での顕現で花と咲き実を結ぶ。